立ち止まることの意義

東京オリンピックの聖火ランナーがスタートしました。これほど、開催にあたって懸念の声が多いオリンピック大会は珍しいのではないかという気がします。あるいは、日本にいて知らないだけで、過去、各国で開催されたオリンピック大会も、それぞれの国のなかで税金を使い過ぎだなどの賛成・反対の議論があったのかもしれません。

ともかく、問題は新型コロナです。東京電力福島第一原発事故の収束作業拠点として数年間使用された、元々、東京電力の施設でもあった、福島県双葉郡楢葉町の「Jビレッジ」が会場に選ばれたのは、復興の意味が込められていたと思います。地元の人、あるいは、地元に帰れない人など、大勢の方に祝福されてスタートする予定だったことと思います。

昨日は、まだ、人が密になってはいけないということで、規制線が張られ、限られた人しか見物もできなかったと報道されています。同じような光景が、これから7月まで、全国各地で繰り広げられることと思います。

新型コロナの感染がおさまっていないことに加えて変異種が幅をきかせていることも心配されます。ワクチンの接種が始まったようですが、広くいきわたるのはこれからです。あと数か月先に競技が開催されることは、どうしても無理があるように思いますが、途中で立ち止まる聖火ランナーが現れないものか。そんな夢想をしてみました。

(なんでもそろう、いらすとやさんからいただきました)