ハンコは実際のところどうなるのでしょう
「印鑑をなくする」ことの目玉があるとすれば、「実印」をどうするかという点だと理解していました。つまり、ストレートに言えば「実印を廃止すること」だと。
河野大臣は、たぶん、それを含めて、全部が対象と指示されているのだと思います。
ところが、お役所の現場なのか、あるいは、印鑑業界の抵抗があるからなのか、廃止可能な図書リストから、すっぽりと「実印が必要な手続き」を除外しようとする報道があります。
ここが大事なポイントだと思います。「三文判はなくしてもいいが実印を押す文書は無くすることができない」--本当にそうなのか。既得権にこだわらず、検討が要るように思います。なにしろ欧米には無い文化なので。「実印」は伝家の宝刀ではないですよね、ということを言いたいと思っております。
同様に、現行の法律をタテにして、「遺言にはハンコが必要」という主張もあります。その根拠として、「一つは、押印した文書の真正さを担保すること(真正さの担保)、もうひとつは文書の作成が完結することを担保すること(文書完成の担保)」ということとされています。
それを踏まえたうえで、その「真正さの担保」や「文書完成の担保」を「印鑑を押す」という行為ではないものに変えることができませんか、ということが今回の改革だと思われます。
根拠となる「民法」などで決められていることに関しても、一括法で、条文のなかで「これに印を押さなければならない」というところはすべて不要とする、とすれば済む話で、「今の法律で印鑑が必要と書かれているから無くすることはできない」ということは本末転倒ですね。
ただ、この種の行政改革に関しては、政府の方針自体も、まだまだ議論を積んで、あるいは、実際に書類を扱う、お役所の現場も踏まえて、今回は何をどこまでやるのか、だんだん絞りこんでいくものかと思う次第です。
何のために議論しているのかといえば、行政の簡素化のはずなので、そもそも、書類の数を減らす検討も同時並行に行われなければ、「印はなくなったけど紙の枚数は変わらない」というのであれば簡素化にならなと思われます。
ただ、このようなつぶやき自体が陳腐なものになるくらい、思い切った「断捨離」に向かうことを期待したいと思います。
(今回もジブリからいただきました。本文とは関係ありません。「ゲド戦記」から)