ハンコ文化の終わりかた

新型コロナの外出自粛が強く言われていたなかでも少数ながら会社に出勤する人にインタビューすると、「印鑑が会社に置いてあるので、どうしても出社しなければならない」という理由をあげる人がテレビのニュースでもとりあげられていました。

書類に印鑑がないと受け付けないという官公署に提出する書類は多いはずですが、そのような報道に対して、4月の時点で、IT担当大臣は、ハンコが必要なのは「民・民の取引で支障になっているケースが多い」という見解を示しており、少し我々の感覚と違う発言をされていたのが気になっていました。背景には、政府は着々と、行政手続きのデジタル化を進めていたということと思われます。

先週の日経新聞に「『契約書のハンコ不要』、政府が見解 対面作業削減狙う」という記事がありました。「政府は19日、民間企業や官民の取引の契約書で押印は必ずしも必要ないとの見解を初めて示した。押印でなくてもメールの履歴などで契約を証明できると周知する。押印のための出社や対面で作業を減らし、テレワークを推進する狙いがある。」というものです。

民事訴訟法は契約書など文書が正しく成立したことを推定する手段に本人や代理人の署名や押印を挙げる。訴訟リスクを避けるため、過剰に押印を求める慣行があった。実際は押印以外も裁判所の判断材料になるため、押印は必須ではないと強調した、と報道されています。

報道は、物理的に「ハンコを押す」行為にこだわっていますが、この行為には、

①仕上げた書類が間違っていないか最後にもう一度チェックする

②作成したのが誰で合意した関係者は誰で、最後に誰が責任をもつかを明確にする

などの重要な機能があったように思います。

ハンコ文化を残せと主張しているわけではありません。あるいは、家にいてもやることがないからとりあえず「ハンコ」を理由に会社に出勤するサラリーマンを正当化しようと考えているわけではありません。

ハンコの代わりにチェックボックスや電子認証を設ければ、上記のような「ハンコを押す」という行為に込められていた必要な作業が担保されているのかどうか。これからは「ハンコなし」の新しい生活習慣の時代になるので、その確認が要るように思います。どうも、「IT化して物理的に不要な作業をカットする」ということが先行しているような気がしてなりません。

(写真は「手形」、ゆきのきさんによる「写真AC」からいただきました)