パブリック・リレーションズについて考えてみる

新型コロナウィルスの猛威は止まりません。
先日の志村けんさんのとき以上に、岡江久美子さんのことはたいへんショッキングな出来事でした。新型コロナウィルスは普通に生活していた人も死に至らしめるものであることを再認識しました。
あらためて大勢の亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたいと思います。
基本に帰って自分にできること、外出の自粛やマスクや手洗いを徹底的にやるしかありません。

このウィルスはこれまで経験したことがないものですので、毎日、たくさんの情報が飛び込んできます。ちょっと、ここで「パブリック・リレーションズ」ということについて考えてみたいと思います。
「パブリック・リレーションズ」、頭の文字をとると「PR」ですし、日本語では「広報」と訳されます。ただ、「広報」と聞くと、企業が不祥事に釈明するときや、あるいは、逆に新製品を発売したときの威勢のいい売り言葉のような、少し、品性に欠けるニュアンスを感じてしまいます。
戦後に輸入された概念なので、適切な日本語がないのかもしれません。webで調べると、日本では、1969年に加固三郎という方が次のように定義しているそうです。
PRとは、公衆の理解と支持を得るために、企業または組織体が、自己の目指す方向と誠意を、あらゆる表現手段を通じて伝え、説得し、また、同時に自己修正をはかる、継続的な対話関係である。自己の目指す方向は、公衆の利益に奉仕する精神の上に立っていなければならず、また、現実にそれを実行する活動を伴わなければならない。」と。
ですので、企業にとどまらず、政府や行政機関にとっても重要な役割だと思います。
以前、欧米の原子力関係の施設を見学に行った際に、理系でも文系でもなく、「パブリック・リレーションズ」の学科を卒業したという方が、とてもわかりやすく、しかも、数量的な質問にも、確かな根拠があるものなのか推測を含んだものなのかを加えて、丁寧に説明してくれた経験を持っています。
我が国には、このような「パブリック・リレーションズ」を専門に教える大学はあるのかどうか。仮に、その分野を修めたとして、企業や官庁は採用の際に重要視してくれるのか疑問です。この役割をしっかり担える担当者がいれば、大事なことがらを国民に伝える際に、必ずしも大臣や知事が毎回、説明に当たらなくてもいいのではないかという気がします。あるいは、言葉足らずや、思わず言わなくてもいいことを発言してマスコミからあげ足を取られるということも起きないものと思います。
身近な存在の尊い命が犠牲になることは、へたな説明よりも何倍も、事の重大さを教えてくれます。

「パブリック・リレーションズ」は、うわべだけの美辞麗句を並べ立てることではないはずですが、webで調べても、この言葉からは、企業の広報活動に関連する内容しか出てこないことがたいへん残念で、我が国に不足している文化だと思います。今回を機会に進化することを望みたいと思いました。

(写真は、スイレンさんによる「写真AC」からいただきました)