団塊の世代がそうであったように、「就職氷河期世代」をひとまとめにしてはいけないこと
ここ数日、「就職氷河期」のことをブログに書いてきたことをうけ、「私もその世代です」と話しかけてくださる、社会保険労務士の方、行政書士の方などにお目にかかるチャンスがありました。それぞれ、ご立派にご活躍されています。
つい、新聞などの報道では、この世代の50万人とも100万人ともいわれている、就職すべき時期に、門戸が狭く就職できなかった世代をひとまとめにくくりがちです。
事実、大学をご卒業されて、就職しようとした時期に、競争率が10倍あるいはそれ以上のとんでもない狭い関門に遭遇された方は多いようです。
しかし、そこで人生が止まるわけではありません。それぞれの皆さんは、ストレートに会社員になった方とは違う人生をしっかり歩んでこられたことと思います。
自己の知識を深め、資格試験に向かった方が多くおられることを知りました。人生、なにが、災いなのか、なにが幸いなのかわかりません。
少し上の先輩に、団塊の世代と呼ばれた層がいらっしゃいます。この方々はたいへん数が多いのが特徴です。「小学校が『キュー』クラスまであった」というお話を伺い、「へえ、9ですか多いほうですね」と返答したら、「ローマ字の『Q』ね。二桁になってしまうので、当時のクラスはアルファベットでした」という会話をしたことがあります。(半分、冗談かもしれません)
ともかく、数の多いこの世代をひとまとめにすることはできません。なにしろ、大勢のなかで、嫌でも揉まれ、競争させられてわけですので、それぞれの方が、確かなご意見を持っておられます。
「就職氷河期」の世代も、自宅に引きこもっておられる人ばかりではなく、採用しなかった会社を尻目に、それをバネにして、様々な分野でご活躍されていることを再認識しました。
ですので、この問題に対する各省庁のたくさんの施策が、令和2年度の予算に盛り込まれています。うまく合致して、就職の機会を得て、これまでと違う生活につける方もおられるとは思いますが、それぞれの個人からみれば、各施策がどれもあてはまらない、的外れなものに感じる方も多いのかもしれません。
そうであれば、補助金などによって、この世代まるごと何とかするという成果ではなく、一人でも二人でも採用されれば、成果はあったとみるべきなのだと思った次第です。