デジタル遺言;例えばエクセル表1枚のみの遺言

自筆による遺言は、代筆による偽装や改ざんを防止する観点から、遺言はすべて遺言者本人の手書きでなければならないとされています。ただし、法改正により、相続財産の目録などの帳票はパソコンで作成したものに署名・押印をすればよいことになります。
さらに、令和2年7月10日から、その自筆の遺言書を法務局が預かってくれる制度がスタートします。
このときに、法務局では原本を保管すると同時に、預けたその遺言書をスキャナーで写し取り、「画像データ化」してくれるので、いわば、「遺言書のデジタル化」の第一歩というべき画期的なものだと思います。

遺言とは、突き詰めれば、配偶者や子や孫などの相続人に家・土地や財産をどのように分けたいか、被相続人の希望を書き留めたものです。「財産目録」がエクセル表のようにパソコンで仕上がっているのであれば、そのリストの横に、相続人のAさん、Bさん、あるいは、その分配の比率を記入十分ではないか、というのが究極の姿ではないかと思います。これを「デジタル遺言」と呼びたいと思います。

こういうことを主張すると、民法968条で「自筆証書によって遺言するには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さねばならない」と決まっているのだ、と「反論」する人が現れます。
ですので、これは、将来のことだと思ってください。改正された民法でも、遺言の本文は遺言者が一語一句、手書きで書く必要があります。

少し先の、近い将来、クリックだけで遺言ができあがることは無理があるのか、エクセル表に記号を付けただけのものが「遺言」として認められないか。
--それには何が必要でしょうか。

振り返って、現状の、①紙に、②手書きをして、③押印する、という一連の動作を通じて、できあがった成果物が、本人にしか作りえない真正なものだという文化が長く続いてきました。
このうち、③の押印は、ずいぶん、本人であることを証明する手段としては、もろいものになっていると思います。印鑑は大切なものなので、通常、本人が大切に保管しているものですが、身体の一部でない以上、第三者がそれを持ち出して、成り代わって押印することは十分可能です。さらに、この場合の印鑑は実印である必要がありません。最近の技術をもってすれば、精巧に同一の印鑑を作ることは比較的容易にできることです。

②の手書きでなければならない背景は、やはり、本人が作成したものであることを担保するものとして認められた手法だと思います。短い文章や記号の記入であれば、本人の筆跡をまねて作ることも可能ですが、遺言書の本文のような長い文章を本人の筆跡をまねて作りあげるのは容易なことではありません。
容易なことではない、というだけであって、全く不可能ではないと言えます。

このように、「①紙に、②手書きをして、③押印する」という手法は、「本人にしかできないこと」を担保するための条件として、今の技術レベルに照らして、このくらいでいいだろうと決めたルールに過ぎません。
逆に、「デジタル」な技術を駆使すれば、さらに厳格に、「本人にしか為しえないこと」を担保することが容易にできるのではないかと思われます。

暗証番号からさらに進んで、「虹彩認証」のような生体認証と作成されたエクセル表が結び付いていて、他の人が改ざんできないような仕組みさえあれば、そのほうが紙にかかれたものよりも厳格に本人のものであると結論付けることができるようになるのではないかと思います。

ここにこだわるのは、これが実現できれば、様々に行政手続きが変わる余地があるからです。長くなりますので、続きは次回にさせていただきます。