成年後見制度はなぜ機能していないのか;不足する人材をどうやって補うか

「判断能力がなくなってしまった人を支援するしくみ」という成年後見制度ですので、介護保険の利用者の拡大とあいまって、今後も需要は増えてくるはずです。 任意後見はさておき、法定後見の場合、弁護士や司法書士、社会福祉士などの専門職だけでは増え続ける成年後見需要には対応できないと政府も懸念しています。 それを補うものとして、「市民後見人」の確保、育成を掲げています。自治体、社会福祉協議会などが協力して、そのような人材を育成することも計画のなかに入っています。

しかし、それで十分なのかどうか。ドイツなどの国は、そもそも、ボランティアの制度が浸透していますので、「市民後見人」のような役割に関しても、一定の講習を受けた人が無給でその役割を受けるということが当然のこととして社会が受け入れています。

日本の場合どうでしょう。ボランティア制度の典型は、「町内会」ですが、財産管理の問題など、弁護士や司法書士のような公正に問題に取り組むことが期待されている専門家の後見人の間でも、これまで、看過できないくらい多数の不正が指摘されています。

健康管理や身の回りのお世話はともかく、認知症などで「「判断能力がなくなってしまった人」に代わって、財産の管理をするような役割を、市民のボランティアでこなせるのかどうか。それらの人をさらに監督する役割が必要になるとすれば、根本的な人材不足の解決にはならないような気がします。

そもそも、「サービスは無料」という日本の風土と逆に、市民ボランティアはその報酬に関係なく、誠心誠意、職務を全うするのが当たり前という建前は理解されても、それが維持されるような、たとえば、無報酬ボランティアが成年後見人の立場を利用して不正を働いた場合、社会的な制裁を受けるというような環境ができていないように思います。

むしろ、ボランティアに頼るのではなく、自治体がきちんと報酬を負担する職員に準じた役割の責任ある組織の下で実施すべきではないかという気がしております。

また、社会福祉士は一定の研修過程や試験をパスすれば、今後、外国人にも就労する道が開けているとされています。 では、成年後見人は「外国人」にも可能なのか?

そもそも、増加する外国人のなかには認知症に罹りつつある高齢の方も増えてくるものと思われます。成年後見人を必要とする外国人に対しても、国の福祉の手が及ぶのかどうか。この問題は次回、深めたいと思います。

(こういう本も出ていますが)