行政書士も「はんこ文化」とともに滅びるのか

こういう新聞記事が載っていました。

「日本の「はんこ文化」が逆風 デジタル化の対応苦慮」2019年11月8日(産経)

「日本社会に根付く『はんこ文化』が逆風にさらされている。土地購入や婚姻届といった人生の節目で必要な印鑑だが、最近は手続き簡略化のために『脱はんこ』を推進する企業も。国も行政手続きをオンライン化する『デジタル手続き法』を成立させるなど、ペーパーレスでの効率化は時代の流れだ。一見、相反するデジタル化とはんこ。両立できるのか」

「脱はんこ議論は昨年1月、国が電子政府実現への行程を描いた『デジタル・ガバメント実行計画』を公表後に沸騰。押印を『デジタル化の障壁』と表現、業界団体の反発を呼んだ」

ここでいう「業界団体」というのは、「全日本印章業協会」のような組織のことです。

この記事の最後に、全日本印章業協会の談として、「ただ、社会に根付く印章制度を急変させることは、『ITに弱い人の情報格差問題もあり、混乱を招きかねない』と指摘した上で、『なくす議論ではなく、国民の多くが持つはんこをどう活用するかが重要。国とともに方策を考えたい』と話した」と結んでいます。

整理してみましょう。

記事のなかで、こうも言っています。

「日本企業は三文判のようなセキュリティーの甘いはんこを使い、何重もの決裁のため余計な時間や紙が発生するケースが多い」

すなわち、問題は、「はんこ」というのは、その印鑑の所有者しか押印できないことを前提に、個人の承認行為を肩代わりするものであるのに、機械で大量に作れる「三文判」は印影がほとんど同じになるでしょうし、百円ショップで簡単に手に入れることができます。そういった、セキュリティ面の弱さが1点。

また、ポンポンと、誰がどういう責任を分担しているのか不明なまま、書類を持ちまわって多数の印を押すことで決裁の文書が成り立っている日本の文化という、国際標準にそぐわないという面が2点目。

さらには、そのような「文化」が消滅して「デジタル」に置き換わることに対して、形あるものの象徴として「はんこ」を無くすべきではないという改革をはばむ風潮という側面が3点目。

1点目の情報セキュリティの点は、よく議論し対策が必要だと思います。第三者が契約文書や申請資料に介入し改ざんできる余地は無くする必要があります。それを「はんこ」で防止できるものではありませんが。

行政手続きに「はんこ」がなくなっていくことは、すなわち、行政書士の業務が世の中から不要になるということに深く関係しているように思えます。続きは次回に。